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書家・小野桂華先生を偲んで [小野桂華 書家 書道 県展 日展]
書道の練習でふと筆を休めたとき、平成22年12月20日に86歳で他界された小野桂華先生(本名・道子先生)を思い出した。とても尊敬できる大人物であり、人一倍、勉強熱心な先生でいらっしゃった。今も先生を思い出すと、優しい笑顔が思い出される。
作品は流麗でありながら力強く、雅な作風であった。今年の「岡山日展会」でも、先生の作品が展示されていて、観る者の心を強く揺さぶっていた。
小野桂華先生は、大正13年(1924)1月10日、岡山市東畦生まれた。就実高等女学校(現就実高校)を卒業され、書の大家・大原桂南先生、内田鶴雲先生、安東聖空先生に師事、力をつけていかれた。
昭和28年に、日展に初入選されてから、入選歴は多数で、正筆会の重鎮、あるいは道文会主宰、岡山県美術展審査員、日展会友としても活躍された。道文会では多くの書家が育ち、先生の後進の指導には定評があった。
小野桂華先生は、岡山市文化奨励賞(芸術部門)、山陽新聞賞、岡山県文化賞、三木記念賞などを受けられている。
もう先生にお会いすることはできないが、多くの作品が今も鑑賞者の心を打ち、お弟子さんたちも研鑽を重ねられて、日本文化の「書」を引き継がれている。
しばし小野桂華先生を思い、筆に墨をつけ無心で書いた。
先生のご冥福を心から願ってやまない。
作品は流麗でありながら力強く、雅な作風であった。今年の「岡山日展会」でも、先生の作品が展示されていて、観る者の心を強く揺さぶっていた。
小野桂華先生は、大正13年(1924)1月10日、岡山市東畦生まれた。就実高等女学校(現就実高校)を卒業され、書の大家・大原桂南先生、内田鶴雲先生、安東聖空先生に師事、力をつけていかれた。
昭和28年に、日展に初入選されてから、入選歴は多数で、正筆会の重鎮、あるいは道文会主宰、岡山県美術展審査員、日展会友としても活躍された。道文会では多くの書家が育ち、先生の後進の指導には定評があった。
小野桂華先生は、岡山市文化奨励賞(芸術部門)、山陽新聞賞、岡山県文化賞、三木記念賞などを受けられている。
もう先生にお会いすることはできないが、多くの作品が今も鑑賞者の心を打ち、お弟子さんたちも研鑽を重ねられて、日本文化の「書」を引き継がれている。
しばし小野桂華先生を思い、筆に墨をつけ無心で書いた。
先生のご冥福を心から願ってやまない。
「裁判所事務官」に合格したけど… [裁判所事務官 刑法 憲法 民法 地裁]
昭和58年の大学4年のとき、「裁判所事務官」採用試験を受けた。確か会場は、岡山大学だったと思う。国語、数学、理科、社会、英語などの一般教養試験のほかに、憲法、刑法、民法などの専門試験もあった。階段教室には、賢そうな学生が座っており、よその国立大学・経済学部在籍の私は面食らった。
「裁判所事務官」の受験勉強は、大学の講義がないとき、朝9時に大学の図書館に入り、閉館の午後10時まで、黙々と勉強、それから夜間は道路工事のバイトに行き、翌日は同じ勉強とバイトの繰り返しだった。
試験当日は、最後には論文があり「わが国の民法とフランス民法との比較論」を書く課題があったと思う。わりと民法は勉強していたので、簡単に書けた。
何週間かして「二次試験」が岡山地方裁判所であるので、くるように案内状がきた。一次試験は受かったようだ。筆記試験は、かなりの競争率だったと思うが、実務教育出版の「上級公務員講座」がわりとわかりやすく、利用したのが良かったようだ。
二次試験は「口頭試問」である。会場に来ていたのは、私を含めて18人だった。皆賢そうに見えた。その中の一人が「きみは、何学部?」ときくので「経済学部です」と言うとバカにしたような笑みを浮かべた。彼は「ここは法学部でないと、職についても片身がせまいよ」といった。国立O大学法学部の学生と、彼は名乗った。私も国立大学であることを告げた。
何人かのあと別室に呼ばれた。そこには二人の裁判官が座っていた。一人が「きみは、今年の司法試験を受けたかね?」とおもむろにきいた。私は「いいえ」と答えた。
するともう一人が、「最終的には司法試験を受ける気概がないと」と言った。私は「はい」と答えただけだった。
そこから「口頭試問」が始まった。憲法、民法、刑法からの3つから憲法は必須で、あと民法、刑法の選択だった。やけに試験の部屋が暗かったことを思い出す。
私は憲法、民法を選んだ。かなりの知識と、回答要領が必要だが、普通に勉強していればできる問題だ。
席を立つとき裁判官の一人に「きみは、この試験にもし落ちたら、来年受けるかね」と言われたので、「いいえ。そのつもりはありません」と言って、一礼して部屋を出た。
数日後、「合格」の通知がきた。あのO大学の学生は受かっただろうか、と思った。三次試験もパスして、晴れて合格した。でも、最終的に「行く気」がなくなり辞退した。
今は、まったく関係ない職業についている。もし「裁判所事務官」になっていたら、どんな人生があっただろうか。今、ふと考える。
「裁判所事務官」の受験勉強は、大学の講義がないとき、朝9時に大学の図書館に入り、閉館の午後10時まで、黙々と勉強、それから夜間は道路工事のバイトに行き、翌日は同じ勉強とバイトの繰り返しだった。
試験当日は、最後には論文があり「わが国の民法とフランス民法との比較論」を書く課題があったと思う。わりと民法は勉強していたので、簡単に書けた。
何週間かして「二次試験」が岡山地方裁判所であるので、くるように案内状がきた。一次試験は受かったようだ。筆記試験は、かなりの競争率だったと思うが、実務教育出版の「上級公務員講座」がわりとわかりやすく、利用したのが良かったようだ。
二次試験は「口頭試問」である。会場に来ていたのは、私を含めて18人だった。皆賢そうに見えた。その中の一人が「きみは、何学部?」ときくので「経済学部です」と言うとバカにしたような笑みを浮かべた。彼は「ここは法学部でないと、職についても片身がせまいよ」といった。国立O大学法学部の学生と、彼は名乗った。私も国立大学であることを告げた。
何人かのあと別室に呼ばれた。そこには二人の裁判官が座っていた。一人が「きみは、今年の司法試験を受けたかね?」とおもむろにきいた。私は「いいえ」と答えた。
するともう一人が、「最終的には司法試験を受ける気概がないと」と言った。私は「はい」と答えただけだった。
そこから「口頭試問」が始まった。憲法、民法、刑法からの3つから憲法は必須で、あと民法、刑法の選択だった。やけに試験の部屋が暗かったことを思い出す。
私は憲法、民法を選んだ。かなりの知識と、回答要領が必要だが、普通に勉強していればできる問題だ。
席を立つとき裁判官の一人に「きみは、この試験にもし落ちたら、来年受けるかね」と言われたので、「いいえ。そのつもりはありません」と言って、一礼して部屋を出た。
数日後、「合格」の通知がきた。あのO大学の学生は受かっただろうか、と思った。三次試験もパスして、晴れて合格した。でも、最終的に「行く気」がなくなり辞退した。
今は、まったく関係ない職業についている。もし「裁判所事務官」になっていたら、どんな人生があっただろうか。今、ふと考える。
「愛のコリーダ」を見直して [愛のコリーダ 大島渚 殿山泰二 藤竜也 松田瑛子]
「愛のコリーダ」-。わいせつか、芸術かで裁判闘争された映画である。
公開から30年の歳月を経て「ノーカット版」で見直してみた。
公開当時は、主演の松田瑛子と藤竜也の本番の性交シーンが話題になった。映画もズタズタでボカシだらけだった。私も若さゆえ、興味本位で映画館に足を運んだものだ。
しかし、今回は違った。「傑作!」と思った。心の深いところが揺さぶられ、映画のシーンから、すえた臭いがした。
「愛のコリーダ」は純愛映画であり、まさに美しいシーンの積み重ねである。人間には性行為は欠くことができないもの。それを表に出すことがタブーな時代がわが国に長く続いた。しかし、現代では顔をそむけたくなる「性行為そのもの」だけの低俗なDVDが氾濫し、下卑た作品が多い。興味もわかない。それらとは「愛のコリーダ」は世界が違う。
「愛のコリーダ」には、今は亡き殿山泰二など名バイプレーヤーが出演している。冒頭シーンで殿山演じる物乞いが子供らにいびられ、松田演じるサダが助けるところがある。殿山が、松田の股間をすがって見せてもらい、それを拝むシーンは、なんだかおかしくて、物悲しかった。
人間、人を好きになると、ここまでやるんだろうな、と藤と松田の絡みを見ていた。二人全体をねらったカメラアングルと二人の局部を映し出すカットの切り替わりの中に「いやらしさ」「わいせつさ」は微塵も感じられなかった。むしろ、これって自然ではなかろうか、と思った。
松田が藤と極限まで行き、彼の首を絞めるシーンがあるが、藤は松田演じるサダを心からいとおしい表情を浮かべる。サダも好きで好きでたまらない男を夢中でむさぼる。
それは、二人の人間が体や心だけでなく、「全身全霊すべて融合して一つ」になる行為なのかも知れない。それを映画として成立させるために、監督の大島渚はあえて、本当の性行為を二人にさせなければならなかったのだろう。「コリーダ」は「闘牛」と訳すが、まさに二人は愛の中で闘う牛だった。
武満徹の尺八、琴を使った音楽が全編に流れ、見事な絵との融合を見せている。
この映画を否定される方、嫌だと言う方がいらっしゃるのも仕方ない。それはそれでいいと思う。ただ、私にとってはこの歳になって、ようやく理解できた映画である。

公開から30年の歳月を経て「ノーカット版」で見直してみた。
公開当時は、主演の松田瑛子と藤竜也の本番の性交シーンが話題になった。映画もズタズタでボカシだらけだった。私も若さゆえ、興味本位で映画館に足を運んだものだ。
しかし、今回は違った。「傑作!」と思った。心の深いところが揺さぶられ、映画のシーンから、すえた臭いがした。
「愛のコリーダ」は純愛映画であり、まさに美しいシーンの積み重ねである。人間には性行為は欠くことができないもの。それを表に出すことがタブーな時代がわが国に長く続いた。しかし、現代では顔をそむけたくなる「性行為そのもの」だけの低俗なDVDが氾濫し、下卑た作品が多い。興味もわかない。それらとは「愛のコリーダ」は世界が違う。
「愛のコリーダ」には、今は亡き殿山泰二など名バイプレーヤーが出演している。冒頭シーンで殿山演じる物乞いが子供らにいびられ、松田演じるサダが助けるところがある。殿山が、松田の股間をすがって見せてもらい、それを拝むシーンは、なんだかおかしくて、物悲しかった。
人間、人を好きになると、ここまでやるんだろうな、と藤と松田の絡みを見ていた。二人全体をねらったカメラアングルと二人の局部を映し出すカットの切り替わりの中に「いやらしさ」「わいせつさ」は微塵も感じられなかった。むしろ、これって自然ではなかろうか、と思った。
松田が藤と極限まで行き、彼の首を絞めるシーンがあるが、藤は松田演じるサダを心からいとおしい表情を浮かべる。サダも好きで好きでたまらない男を夢中でむさぼる。
それは、二人の人間が体や心だけでなく、「全身全霊すべて融合して一つ」になる行為なのかも知れない。それを映画として成立させるために、監督の大島渚はあえて、本当の性行為を二人にさせなければならなかったのだろう。「コリーダ」は「闘牛」と訳すが、まさに二人は愛の中で闘う牛だった。
武満徹の尺八、琴を使った音楽が全編に流れ、見事な絵との融合を見せている。
この映画を否定される方、嫌だと言う方がいらっしゃるのも仕方ない。それはそれでいいと思う。ただ、私にとってはこの歳になって、ようやく理解できた映画である。
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日本の美しい文化を再認識 [柔道 美しい 書道 日本 アメリカ 英語 万葉集]
日本の文化が廃れている-そんな感じがする。
日本は、アメリカの一州であるかのような感覚を覚える。国際化などと謳いながら、社内会話を英語にした企業もある。小学校から英語教育も始まった。しかし、日本が長い歴史の中で培っていた「日本語の美しき言語、文化」を理解せずに、英語ばかりの取得を主眼とするのはいかがなものか。
日本には、独自の歴史、四季、自然、文化を通じて美しい大和言葉がたくさんある。それらを使いこなせず、知らずして、英語が操れるだけで、「国際人」とは、本末転倒ではなかろうか。
近年、留学生が現地で「日本文化」を訊かれても答えられないことが多いと聞く。外国人は、日本人でありながら「日本文化」を知らない留学生を卑下する。例えば、アメリカは歴史の浅い国である。殿様もいなければ、城もない。そんなアメリカ人が、来日して、日本の歴史に触れたとき、羨望の声を上げる。
「道」にしてもそうだ。私が愛してやまない「書道」「柔道」など、「道」が日本にはある。資格免許とは違い、一朝一夕で身につくものではない。ほかにも「茶道」「華道」「香道」「剣道」「空手道」など長い歳月と修練の末、取得していくものである。「六十、七十洟垂れ小僧」と彫刻家で文化勲章受章者の故平櫛田中翁は言っている。歳を重ねても「これでいい」と満足できる境地に達せないほど深遠なものが「道」だと思う。
「道」は日本文化の特化されたものだと言っても過言ではなかろう。なんでもかんでもアメリカ流を取り入れた日本の現状はどうであろう。閉塞感と無知があふれ、「道徳」さえも地に落ちている。政治、経済も日本の独自色はなく、アメリカのいいなりだ。
教科書での「知識」だけの「日本文化」ではなく、日本人として日本文化を理解した上で、英語などを取得すべきだと思う。
また、アメリカを始め外国文化を丸呑みするのではなく、噛み砕き、こなして独自の日本文化にしていく能力を日本人のDNAは持っている。それを生かして行くのが日本のこれからの進む道ではないかと考える。
英語が操れるのが悪いと言っているのではない。ただ、それはあくまで言語という道具であり、その先に、他国の文化の取得、技術の取得という目標がなければならない。
日本は、アメリカの一州であるかのような感覚を覚える。国際化などと謳いながら、社内会話を英語にした企業もある。小学校から英語教育も始まった。しかし、日本が長い歴史の中で培っていた「日本語の美しき言語、文化」を理解せずに、英語ばかりの取得を主眼とするのはいかがなものか。
日本には、独自の歴史、四季、自然、文化を通じて美しい大和言葉がたくさんある。それらを使いこなせず、知らずして、英語が操れるだけで、「国際人」とは、本末転倒ではなかろうか。
近年、留学生が現地で「日本文化」を訊かれても答えられないことが多いと聞く。外国人は、日本人でありながら「日本文化」を知らない留学生を卑下する。例えば、アメリカは歴史の浅い国である。殿様もいなければ、城もない。そんなアメリカ人が、来日して、日本の歴史に触れたとき、羨望の声を上げる。
「道」にしてもそうだ。私が愛してやまない「書道」「柔道」など、「道」が日本にはある。資格免許とは違い、一朝一夕で身につくものではない。ほかにも「茶道」「華道」「香道」「剣道」「空手道」など長い歳月と修練の末、取得していくものである。「六十、七十洟垂れ小僧」と彫刻家で文化勲章受章者の故平櫛田中翁は言っている。歳を重ねても「これでいい」と満足できる境地に達せないほど深遠なものが「道」だと思う。
「道」は日本文化の特化されたものだと言っても過言ではなかろう。なんでもかんでもアメリカ流を取り入れた日本の現状はどうであろう。閉塞感と無知があふれ、「道徳」さえも地に落ちている。政治、経済も日本の独自色はなく、アメリカのいいなりだ。
教科書での「知識」だけの「日本文化」ではなく、日本人として日本文化を理解した上で、英語などを取得すべきだと思う。
また、アメリカを始め外国文化を丸呑みするのではなく、噛み砕き、こなして独自の日本文化にしていく能力を日本人のDNAは持っている。それを生かして行くのが日本のこれからの進む道ではないかと考える。
英語が操れるのが悪いと言っているのではない。ただ、それはあくまで言語という道具であり、その先に、他国の文化の取得、技術の取得という目標がなければならない。
国債が紙くずに。預金封鎖 [預金封鎖 インフレ IMF FRB]
日本経済が低迷し、国民は鬱屈、暗澹とした気分で日々を暮らしている。長引く不景気のためである。
先日、アメリカの中央銀行にあたるFRB(米連邦準備理事会)が、2015年まで2%のインフレを起こし、ゼロ金利を維持する考えを示した。日本にも同調を求めてきそうだ。
おりしも日本国内では、「消費税10%への税率上げ」の議論が始まっている。国民の中には、まだまだ政府、行政機関の「無駄」を省く努力が必要との声がある。これは当然である。世間一般の企業の常識では計れない「無駄」が行政にはあると思う。税金の税率を上げる前に、徹底したスリム化が必要なのは言うまでもない。
ただ、日本の借金は国債を始めとして800兆円を突破した。これを国民一人当たりの額に直すと負担額は638万1955円(2011年4月1日時点)になる。これらの借金をわれわれの子孫に残さず、さらに雇用の創出、年金問題など社会福祉制度に対応するためには、やはり消費税率上げの議論は避けて通れないものになる。
週刊誌が「全国民必読」などと言い「ハイパーインフレ」に対する国民感情をあおっている。見出しに「国債が紙くずに」などの強烈なことばが並ぶ。果たしてそうなのか?
ちまたでは、近い将来「インフレ」が来ることは、よく聞かれる。インフレになれば物価が上がり、市中の流通通貨量は増える。つまりお金の価値が下がるわけだ。ただし国債の利率も連動するため利子は上がり、国は利子を払うだけで四苦八苦するようになる。「お手上げ状態」、つまり払えなくなるとどうなるか。国債の信用が下がり、国債が売れなくなる。さらに国内外の投資家がすでに売られている国債を手放す。
こうなると日本経済は崩壊する。ペイオフで一つの銀行で1000万円までの預金とその利子が保障されているが、戦前にあった「取り付け騒ぎ」が起こると「預金封鎖」が行われ、預金者は自分のお金なのに、払い戻しができなくなる。
このような事態を招かないためにも、健全な財政を取り戻さなくてはならない。税率上げの賛否両論はあるだろう。だが、ここは政治家任せではなく、自分の頭で考えてみる必要があるのではないか。
間もなく「ハイパーインフレ」が来ると言っているのではない。ただ、一つのシナリオとして示した。
※IMF(国際通貨基金)は「日本の消費税率は15%が望ましい」と言っている。
先日、アメリカの中央銀行にあたるFRB(米連邦準備理事会)が、2015年まで2%のインフレを起こし、ゼロ金利を維持する考えを示した。日本にも同調を求めてきそうだ。
おりしも日本国内では、「消費税10%への税率上げ」の議論が始まっている。国民の中には、まだまだ政府、行政機関の「無駄」を省く努力が必要との声がある。これは当然である。世間一般の企業の常識では計れない「無駄」が行政にはあると思う。税金の税率を上げる前に、徹底したスリム化が必要なのは言うまでもない。
ただ、日本の借金は国債を始めとして800兆円を突破した。これを国民一人当たりの額に直すと負担額は638万1955円(2011年4月1日時点)になる。これらの借金をわれわれの子孫に残さず、さらに雇用の創出、年金問題など社会福祉制度に対応するためには、やはり消費税率上げの議論は避けて通れないものになる。
週刊誌が「全国民必読」などと言い「ハイパーインフレ」に対する国民感情をあおっている。見出しに「国債が紙くずに」などの強烈なことばが並ぶ。果たしてそうなのか?
ちまたでは、近い将来「インフレ」が来ることは、よく聞かれる。インフレになれば物価が上がり、市中の流通通貨量は増える。つまりお金の価値が下がるわけだ。ただし国債の利率も連動するため利子は上がり、国は利子を払うだけで四苦八苦するようになる。「お手上げ状態」、つまり払えなくなるとどうなるか。国債の信用が下がり、国債が売れなくなる。さらに国内外の投資家がすでに売られている国債を手放す。
こうなると日本経済は崩壊する。ペイオフで一つの銀行で1000万円までの預金とその利子が保障されているが、戦前にあった「取り付け騒ぎ」が起こると「預金封鎖」が行われ、預金者は自分のお金なのに、払い戻しができなくなる。
このような事態を招かないためにも、健全な財政を取り戻さなくてはならない。税率上げの賛否両論はあるだろう。だが、ここは政治家任せではなく、自分の頭で考えてみる必要があるのではないか。
間もなく「ハイパーインフレ」が来ると言っているのではない。ただ、一つのシナリオとして示した。
※IMF(国際通貨基金)は「日本の消費税率は15%が望ましい」と言っている。
「チューブラベルズ」と「エクソシスト」 [エクソシスト チューブラベル フリードキン 映画]
「チューブラベル」と聞いて、ピンと来る人は少ないと思う。あまり馴染みのない言葉である。NHK「のど自慢」の鐘と言えばわかる方が多いと思う。鐘をチューブラー(管状)にした打楽器で、教会などでも見られる。この楽器の曲はクラッシクにあるが、私が印象的なのは「チューブラベルズ」である。
「チューブラベルズ」ってどんな曲?と思われる方が多いかもしれないが、1973 年のアメリカ映画「エクソシスト」(監督・ウイリアム・フリードキン)のテーマ曲といえばお分かりだろう。「悪魔払い(エクソシスト)」のテーマ曲はなんとも不思議なメロディーで私が聴いた中学生のときは、美しい中にも怪しげで、物悲しい曲と感じた。
「チューブラベルズ」は、映画のために作られた曲ではない。原曲は、マイク・オールドフィールドが1987年に発表している。映画で使用されているのは「パート1」の冒頭部分であり、かなりアレンジされている。
映画のエンディングからテーマ曲が流れてくるが、これは効果的で、事件はまだ続くのではなかろうか?という疑念を映画を観るのものに抱かせる。
私は中学生時代、この曲に取り付かれてワーナーレコードのドーナッツ盤を買った。何度もレコードが擦り切れるくらい聴いた。映画はまだ観ていなかったが「悪魔払い」という何とも怪しげな言葉に、想像はかきたてられた。またレコードのジャケットに印刷された「夜霧にたたずむ神父」の写真はますます映画に興味を抱かせた。
映画を実際に観た感想は、五つ星中の三つ星。まあ、こんなものか、といった印象だった。テーマ曲のイメージが先行しすぎて、映像がついてこなかった。
「チューブラベルズ」―。不思議な曲である。
「チューブラベルズ」ってどんな曲?と思われる方が多いかもしれないが、1973 年のアメリカ映画「エクソシスト」(監督・ウイリアム・フリードキン)のテーマ曲といえばお分かりだろう。「悪魔払い(エクソシスト)」のテーマ曲はなんとも不思議なメロディーで私が聴いた中学生のときは、美しい中にも怪しげで、物悲しい曲と感じた。
「チューブラベルズ」は、映画のために作られた曲ではない。原曲は、マイク・オールドフィールドが1987年に発表している。映画で使用されているのは「パート1」の冒頭部分であり、かなりアレンジされている。
映画のエンディングからテーマ曲が流れてくるが、これは効果的で、事件はまだ続くのではなかろうか?という疑念を映画を観るのものに抱かせる。
私は中学生時代、この曲に取り付かれてワーナーレコードのドーナッツ盤を買った。何度もレコードが擦り切れるくらい聴いた。映画はまだ観ていなかったが「悪魔払い」という何とも怪しげな言葉に、想像はかきたてられた。またレコードのジャケットに印刷された「夜霧にたたずむ神父」の写真はますます映画に興味を抱かせた。
映画を実際に観た感想は、五つ星中の三つ星。まあ、こんなものか、といった印象だった。テーマ曲のイメージが先行しすぎて、映像がついてこなかった。
「チューブラベルズ」―。不思議な曲である。
麻酔科医にエール! [麻酔 医師 医学部 万部]
昨日の夜中2時、枕元に置いたケータイのメール着信音が鳴った。市内の病院で麻酔科医をしている友人のE子さんからだ。3日前の私のメールの返事がきた。
メールの書き始めは「今、病院を出て自宅に向かっています。返事が遅くなって、ごめんなさい」。
私は「へ?」と驚いた。今の今まで、手術、術後の経過観察を彼女はしていたわけだ。彼女にとっては大学を出てから、毎日のことではある。しかし、今は皆が眠っている時刻。彼女は、何より「麻酔科医」に誇りを持って日々生きている尊敬できる女性である。
毎日、朝7時に病院に行き手術の準備、時には勉強会、そして気の抜けない手術をこなす。外科、産科、小児科などいろいろな科目をまたいでの頑張りだ。ミスはもちろん許されず、その場その場でベストを尽くしている。でも、患者さんには麻酔科医はなじみが薄い。感謝されるのは、担当医など直接接する医師で、麻酔科医は黒子の存在のようである。彼女が入った病院は、今は麻酔科医は6人だが10年前は3人しかいなかった。
その上、夜勤、当直もあり、はたまた呼び出し(オンコール・宅直)もあり、まさに激務である。
彼女は「美しい」し、何より温厚で優しい。でも、お見合い、恋愛の機会も時間がないから今まで独身である。家庭、恋愛をとれば、医学の学びがおろそかになる、というのが彼女の持論だ。
岡山県C高校から現役で国立大学医学部に合格した。彼女が医学部を目指したのは、「スポーツ医」になるためだったが、当時の大学では男性優位で医局に入れなかったので、麻酔科医になった。
年末に、あるホテルの喫茶店で近況をきくと「残業や当直があるから給料もそこそこだけど、看護師長さんとこの前、給料明細を見せ合ったら、彼女のほうが基本給が多くてショックだったわ」とため息まじりで言っていた
(余談・年収3500万円で麻酔科医を募集した病院もあると聞くが・・・)。
「このまま、結婚もしないで、病院勤めして、頑張って65歳になったら辞めるつもり」と彼女は自嘲気味に言った。彼女は「仕事」に「誇り」を持っている。だが、女性の幸せを放棄したかのように、私は思えた。こんなにクレバーで美しくて優しいのに・・・。
漫画コミック「麻酔科医ハナ」(双葉社、なかお白亜、監修・松本克平)ではないが、本当に少ない人手の中で、一生懸命職責を果たす彼女たちがいるから、「人命」が守られているのだと思った。
通勤はベンツなんかじゃない。病院までは自宅から自転車だ。彼女は「健康のためよ」と屈託なく笑う。
麻酔科医の皆さんの頑張りにエールをおくりたい!
メールの書き始めは「今、病院を出て自宅に向かっています。返事が遅くなって、ごめんなさい」。
私は「へ?」と驚いた。今の今まで、手術、術後の経過観察を彼女はしていたわけだ。彼女にとっては大学を出てから、毎日のことではある。しかし、今は皆が眠っている時刻。彼女は、何より「麻酔科医」に誇りを持って日々生きている尊敬できる女性である。
毎日、朝7時に病院に行き手術の準備、時には勉強会、そして気の抜けない手術をこなす。外科、産科、小児科などいろいろな科目をまたいでの頑張りだ。ミスはもちろん許されず、その場その場でベストを尽くしている。でも、患者さんには麻酔科医はなじみが薄い。感謝されるのは、担当医など直接接する医師で、麻酔科医は黒子の存在のようである。彼女が入った病院は、今は麻酔科医は6人だが10年前は3人しかいなかった。
その上、夜勤、当直もあり、はたまた呼び出し(オンコール・宅直)もあり、まさに激務である。
彼女は「美しい」し、何より温厚で優しい。でも、お見合い、恋愛の機会も時間がないから今まで独身である。家庭、恋愛をとれば、医学の学びがおろそかになる、というのが彼女の持論だ。
岡山県C高校から現役で国立大学医学部に合格した。彼女が医学部を目指したのは、「スポーツ医」になるためだったが、当時の大学では男性優位で医局に入れなかったので、麻酔科医になった。
年末に、あるホテルの喫茶店で近況をきくと「残業や当直があるから給料もそこそこだけど、看護師長さんとこの前、給料明細を見せ合ったら、彼女のほうが基本給が多くてショックだったわ」とため息まじりで言っていた
(余談・年収3500万円で麻酔科医を募集した病院もあると聞くが・・・)。
「このまま、結婚もしないで、病院勤めして、頑張って65歳になったら辞めるつもり」と彼女は自嘲気味に言った。彼女は「仕事」に「誇り」を持っている。だが、女性の幸せを放棄したかのように、私は思えた。こんなにクレバーで美しくて優しいのに・・・。
漫画コミック「麻酔科医ハナ」(双葉社、なかお白亜、監修・松本克平)ではないが、本当に少ない人手の中で、一生懸命職責を果たす彼女たちがいるから、「人命」が守られているのだと思った。
通勤はベンツなんかじゃない。病院までは自宅から自転車だ。彼女は「健康のためよ」と屈託なく笑う。
麻酔科医の皆さんの頑張りにエールをおくりたい!
重松清の「とんび」を読んで [とんび 父子家庭 早稲田大学 広島大学 重松清]
重松清の「とんび」(角川文庫)を読んだ。幸せの絶頂から、悲しみの谷底につき落とされたヤスさん(NHKドラマでは、堤真一)の父の生き様と息子アキラの親への思いを描いた作品だ。愛する妻は、事故で死んでしまう。4歳の幼いアキラを残して…。
子育ては難しい。子供は一個の人間である。人格を持っている。だから、親の示す安泰な道をあえて外れ、あぶなかしい道を選び歩んでゆく。親は傍らで、オロオロし、歓喜し、悲嘆にくれる。
「こんなにも愛している」「こんなにも心配している」「こんなにも尽くしている」と親は子供に、暗に示しても、子供は親の思いとは別の方向に進んでいく。
ヤスさんの息子アキラがケツバットをした少年の親に言われた「父子家庭だから」「親も親なら子供も子供」に対して、謝りはするが、その言葉にキレるのもよくわかった。そして「親が親ばかにならないで、誰が親ばかになる」といった意味合いの言葉は、子供を思う親としては、当然のせりふだと思った。過保護ではない。被害者の親が見下したことさえいわなければ、ヤスさんも反論せずに平身低頭謝っただろう。償いも果たしたはずである。
アキラが地元の広島大学ではなく早稲田大学に行きたいと、言い出したとき、学費も生活費も送らない、地元進学しろ、とヤスさんは言った。ヤスさんのこの言葉は、絶対に息子のアキラに言ってはならないことだ。だって、子供はそれを言われたたら、なす術がなくなり、追い詰められてしまう。アキラはヤスさんの日ごろの大変な苦労を思い、悩み苦しんだ上で出した自分の生きる道。アキラも親思いの、優しい子供だ。
世の親の何人かは、お金のことで子供を服従させようとするが、これは子供への「言葉の暴力」でしかない。そして、言えば言うほど子供は、親に対して反発を強める。
アキラが東京に経つとき、ヤスさんはトイレにとじこもり見送らない。だが、そのあと、素晴らしい展開がこの小説には用意されている。
親子はお互いを愛すれば愛するほど、確執を繰り返す。でも、この世でただ一つの「親子」の愛はどんな形であれ希望ある形で完結すると、この小説は教えてくれた。
子育ては難しい。子供は一個の人間である。人格を持っている。だから、親の示す安泰な道をあえて外れ、あぶなかしい道を選び歩んでゆく。親は傍らで、オロオロし、歓喜し、悲嘆にくれる。
「こんなにも愛している」「こんなにも心配している」「こんなにも尽くしている」と親は子供に、暗に示しても、子供は親の思いとは別の方向に進んでいく。
ヤスさんの息子アキラがケツバットをした少年の親に言われた「父子家庭だから」「親も親なら子供も子供」に対して、謝りはするが、その言葉にキレるのもよくわかった。そして「親が親ばかにならないで、誰が親ばかになる」といった意味合いの言葉は、子供を思う親としては、当然のせりふだと思った。過保護ではない。被害者の親が見下したことさえいわなければ、ヤスさんも反論せずに平身低頭謝っただろう。償いも果たしたはずである。
アキラが地元の広島大学ではなく早稲田大学に行きたいと、言い出したとき、学費も生活費も送らない、地元進学しろ、とヤスさんは言った。ヤスさんのこの言葉は、絶対に息子のアキラに言ってはならないことだ。だって、子供はそれを言われたたら、なす術がなくなり、追い詰められてしまう。アキラはヤスさんの日ごろの大変な苦労を思い、悩み苦しんだ上で出した自分の生きる道。アキラも親思いの、優しい子供だ。
世の親の何人かは、お金のことで子供を服従させようとするが、これは子供への「言葉の暴力」でしかない。そして、言えば言うほど子供は、親に対して反発を強める。
アキラが東京に経つとき、ヤスさんはトイレにとじこもり見送らない。だが、そのあと、素晴らしい展開がこの小説には用意されている。
親子はお互いを愛すれば愛するほど、確執を繰り返す。でも、この世でただ一つの「親子」の愛はどんな形であれ希望ある形で完結すると、この小説は教えてくれた。
園子温監督は天才!「冷たい熱帯魚」「恋の罪」 [園子温 恋の罪 冷たい熱帯魚]
園子温監督の「冷たい熱帯魚」「恋の罪」を二日連続で見た。
園監督は、天才である。
「エロ」「グロ」がなぜか、この映画の中では心地よい。台詞の言葉が生き生きしている。まるで生き物だ。
特に「恋の罪」は圧巻だ。
よくぞこれだけの、プロットを考え出したかと、驚嘆した。
水野美紀、冨樫真、神楽坂恵の三人の裸体も美しいが、狂気の衣をまとうと、女はこんなにも美しいものなのか!
劇中の古いアパートが、懐かしい昭和時代を象徴している。
田村隆一の「言葉なんか知るんじゃなかった…」は、まさにこの映画の骨である。
ただ、情事のあとの神楽坂の緑のワンピースの左肩が外れていたのに、次のカットでは肩にかかっている。記録係のミスだろうか、気にかかった。
とにかく、R18とはいえ、女性に見てもらい感想を聞いてみたくなった。
園子温ワールドに完全にはまったようだ。
余談だが、神楽坂恵は、岡山県立津山高校の卒業生である。岡山では名門で知られている。
2012年1月の山陽新聞「東京で活躍する岡山人」の記事で、神楽坂恵と園監督が入籍したと、神楽坂自身がインタビューに答えている。
園監督は、天才である。
「エロ」「グロ」がなぜか、この映画の中では心地よい。台詞の言葉が生き生きしている。まるで生き物だ。
特に「恋の罪」は圧巻だ。
よくぞこれだけの、プロットを考え出したかと、驚嘆した。
水野美紀、冨樫真、神楽坂恵の三人の裸体も美しいが、狂気の衣をまとうと、女はこんなにも美しいものなのか!
劇中の古いアパートが、懐かしい昭和時代を象徴している。
田村隆一の「言葉なんか知るんじゃなかった…」は、まさにこの映画の骨である。
ただ、情事のあとの神楽坂の緑のワンピースの左肩が外れていたのに、次のカットでは肩にかかっている。記録係のミスだろうか、気にかかった。
とにかく、R18とはいえ、女性に見てもらい感想を聞いてみたくなった。
園子温ワールドに完全にはまったようだ。
余談だが、神楽坂恵は、岡山県立津山高校の卒業生である。岡山では名門で知られている。
2012年1月の山陽新聞「東京で活躍する岡山人」の記事で、神楽坂恵と園監督が入籍したと、神楽坂自身がインタビューに答えている。
阿波踊りの夜 [阿波踊り 徳島大学 眉山 阿波池田 東京大学]
「待て!ドロボー!」
人ごみの中を女が必死に男を追いかけている。男は道行く人にぶつかりながら、逃げる。追う女は、浴衣姿に編み笠。下駄を履いているので思うように男が追えない。
男と女の距離が徐々に離れてゆく。
道行く人々は、男がスリとは分かっているのだが、こわがって捕まえようとしない。
そんなとき、逃げる男の前に、若い男が立ちはだかった。
「どけろっ」
と叫んで、男は若い男からすり抜けようとした。その瞬間、若い男が足を払った。男はその場でしりもちをつき、握っていた財布が手から落ちた。
「何しやがんで」
男は立ち上がると、若い男に殴りかかった。若い男はこぶしをよけ、その腕をとると背負った。「背負い投げ」。男は宙を舞い、地面にたたきつけられた。
誰かが呼んだのか、二人の警官が駆けつけて、のびている男に手錠をかけた。ようやく追いついた女が、落ちていた自分の財布を拾うと、地面に倒れている男の頭をコツンと下駄で蹴った。
警官の一人が、女に
「こりゃ、いかんぞ!もう手出しはするな」
と叫んだ。
「あんたも後で警察署に来るように」
と女に言いながら、男を連行していった。女はすぐにスリを投げた若い男を捜した。でも、もうどこにも姿はなかった。
遠くで鐘とお囃子の音が聞こえた。徳島「阿波おどり」の夜─。
もう時計の針は、深夜零時を回っていた。
「玲子、飲みすぎ!」
と友達の美由紀が玲子から水割りのグラスをとりながら言った。
「美由紀、もう少し飲ませてよ。飲みたい気分なの」
「なに言ってるの。玲子はぶりがつくと、底なしなんだから。もうここらでやめとこ」
美由紀の部屋で、踊りのあとのささやかな宴を開いていた。
「でも気分悪いじゃない。踊りの前にスリにあって、気分はめちゃめちゃよ。確かに踊りは楽しかったけど、あんなことの後じゃ、楽しめないっ」
美由紀からグラスを奪い返しながら玲子は言った。
人ごみの中を女が必死に男を追いかけている。男は道行く人にぶつかりながら、逃げる。追う女は、浴衣姿に編み笠。下駄を履いているので思うように男が追えない。
男と女の距離が徐々に離れてゆく。
道行く人々は、男がスリとは分かっているのだが、こわがって捕まえようとしない。
そんなとき、逃げる男の前に、若い男が立ちはだかった。
「どけろっ」
と叫んで、男は若い男からすり抜けようとした。その瞬間、若い男が足を払った。男はその場でしりもちをつき、握っていた財布が手から落ちた。
「何しやがんで」
男は立ち上がると、若い男に殴りかかった。若い男はこぶしをよけ、その腕をとると背負った。「背負い投げ」。男は宙を舞い、地面にたたきつけられた。
誰かが呼んだのか、二人の警官が駆けつけて、のびている男に手錠をかけた。ようやく追いついた女が、落ちていた自分の財布を拾うと、地面に倒れている男の頭をコツンと下駄で蹴った。
警官の一人が、女に
「こりゃ、いかんぞ!もう手出しはするな」
と叫んだ。
「あんたも後で警察署に来るように」
と女に言いながら、男を連行していった。女はすぐにスリを投げた若い男を捜した。でも、もうどこにも姿はなかった。
遠くで鐘とお囃子の音が聞こえた。徳島「阿波おどり」の夜─。
もう時計の針は、深夜零時を回っていた。
「玲子、飲みすぎ!」
と友達の美由紀が玲子から水割りのグラスをとりながら言った。
「美由紀、もう少し飲ませてよ。飲みたい気分なの」
「なに言ってるの。玲子はぶりがつくと、底なしなんだから。もうここらでやめとこ」
美由紀の部屋で、踊りのあとのささやかな宴を開いていた。
「でも気分悪いじゃない。踊りの前にスリにあって、気分はめちゃめちゃよ。確かに踊りは楽しかったけど、あんなことの後じゃ、楽しめないっ」
美由紀からグラスを奪い返しながら玲子は言った。
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